アラサー女子なんごの部屋

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悲しみ

なんごの生活

こんにちは。

テレビにかじりつきまくってるアラサー女子、なんごです。

 

楽しくテレビを見ていたら、ニュース速報で

 

横田滋さんが亡くなったとの訃報が。

 

たった数文字、テレビ画面の上のほうに表示されただけだったのですが、

心に冷たい風が吹いた。

 

自粛生活中にNETFLIXで『愛の不時着』を見ていて、

物理的距離は近くて、実際は地球の裏側より遠い国、北朝鮮について

そうなんだー、そんな感じの生活を送ってるのか。

なんて思っていた矢先。

 

あのドラマでヒロインは北朝鮮から韓国へ無事に帰国できたけど、

現実はドラマのように甘くないのだな。と思いました。

 

政府も拉致被害者のご家族も支援団体も、

長い間尽力されてきたと思います。

そんな努力にもかかわらず、お父さんのもとに娘さんが帰ってこられなかった。

しかも、会えないまま亡くなってしまうなんて。

何度もチャンスがあって、そのたびに裏切られて、

悲しい思い、悔しい思いがあったと思います。

離ればなれの悲しみの中、それぞれ生活していたと思います。

 

 

会えなくなることが悲しいかどうかは、

自分が会いたいと願ったときに会えない状況にあるかどうか。

いまやSNSやテレビ電話でつながれる時代かもしれないけれど、

それは精神的距離を少しだけ、ほんの気持ちだけ縮めるもので

物理的距離を縮めるコミュニケーションがなければやっぱりさみしい。

まして国交がないところにいるからSNSなんて使えないわけで。

1mmも距離は縮まらなかった。

 

きっと部屋に残されたものを見るだけで悲しかっただろうな。

食卓にあがるおかず一品でも、あの子が好きだったな、って

思い出して悲しかっただろうな。

同じくらいの歳の子供を見るたびに一緒にいたらこうだっただろうな。

って思っていたと思う。

 

個人の選択が自由に行える日本において、

北朝鮮のように、選択の自由がない状況は想像できない。

工作員と呼ばれる人たちはどうして被害者たちを連れて行ったのだろう。

連れて行った人たちは悲しむ家族のことを想像できなかったのかなぁ。

そりゃ全然違う文化の国のことなんて想像つかなかったかもしれないけど、

自分の子供と離ればなれにされると悲しいことくらい想像できたと思う。

北朝鮮は個人の感情よりも国の命令が優先される国なんだろうな。

 

たった一つのニュースだけど、大きな衝撃。

感情が揺さぶられるくらいいろいろな映像が思い浮かんだ。

 

自分が産んだ子供とは一緒にいたいよな。

まだ出産したことないけど、そう思うのは自然なことだし、

それが叶うように一人の時より頑張るんだと思う。

 

横田さん、教科書で知っている人。ニュースに出てくる人。

だけど確実に自分の生活に出てきてはいろいろなことを考えさせてくれる、影響力のある人。

こんなに自らを世間にさらして、同じような立場の被害者の家族をまとめて、いつも一番前で頑張った人の願いを叶えられなかった。当事者ではないけれど悔しい。

次の選挙で投票するときにまたいろいろ考えなきゃならないな、って思う。

民間人だけでは解決できないことを解決できる政府であってほしい。

なら、選ぶ我々にも責任はあるよなぁ。って思います。

考えすぎ?いや。そんなことないと思う。

ちゃんと行動できる人間でいなきゃならないな。自戒。

 

どうか、安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。